タロットは1400年代前半の北イタリアで、カードゲーム用のデッキとして始まりました。通常のカードに、切り札の役割をする絵札のスートがひとつ加えられていたのです。占いに使われたことが記録に残るのは18世紀後半からで、フランスの著述家たちがタロットを古代の叡智の書として描き直したときのことです。
タロットの起源について語られることのほとんどは、あとから生まれたものです。エジプトの神官、各地を旅するロマの占い師、「数千年の歴史」。どれも、カードが生まれてからずっと後に語られるようになった物語です。本当の歴史はもっとしっかり記録に残っていて、ある意味ではもっと不思議です。
このガイドでは、ルネサンスの宮廷から、今ほとんどの人が使っているデッキ、つまりパメラ・コールマン・スミス(Pamela Colman Smith)が描き1909年に出版されたデッキまで、カードの歩みをたどります。歴史家が示せることだけを扱い、証拠が途切れるところはそうはっきり書きます。この分野の定番の研究は、マイケル・ダメット(Michael Dummett)のThe Game of Tarot(1980年)と、ロナルド・デッカー(Ronald Decker)、ティエリー・ドゥポーリス(Thierry Depaulis)、マイケル・ダメットの共著A Wicked Pack of Cards(1996年)です。
目次:
- タロットの歴史年表
- タロット以前:トランプがヨーロッパに伝わる
- カードゲームとしてのタロット
- オカルト・リバイバル:エジプト、エッテイラ、レヴィ
- 黄金の夜明け団とライダー・ウェイト・スミス版
- トート・タロットと20世紀
- タロットの歴史にまつわる俗説
- スートとトランプのつながり
- リーディングに歴史が役立つ理由
- よくある質問
タロットの歴史年表
1700年より前の年代は、おおよそのものが少なくありません。会計帳簿や手紙、様式からしか年代を推定できないカードにもとづいているからです。歴史家が断定を避けているところは、この表でも断定していません。
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 1370年代後半 | トランプがヨーロッパに伝わる。おそらくエジプトとシリアのマムルーク朝の世界から。1377年の記録では新しいものとして扱われている。 |
| 1440年代までに | 北イタリアの宮廷で、現存する最古のtrionfi(トリオンフィ、「勝利」)の記録。切り札のスートが加わった、トリックテイキングゲーム用のカード。 |
| 1400年代半ば | ミラノのヴィスコンティ家とスフォルツァ家のために、手描きの豪華なデッキが作られる。いくつかが一部だけ現存。 |
| 1400年代後半 | ソラ・ブスカ版(Sola Busca)が、数札のすべてに場面を描く。初期のデッキではほかにほとんど例がない。 |
| 1500年代初め | tarocchi(タロッキ)という言葉が現れる。切り札を使うほかのゲームと区別するためだったらしい。 |
| 1500年代~1700年代 | ゲームがフランス、スイス、さらにその先へ広がる。マルセイユ版タロット(Tarot de Marseille)の図柄が標準になる(1650年ごろのジャン・ノブレ、1701年ごろのジャン・ドダル、1760年のニコラ・コンヴェル)。 |
| 1781年 | アントワーヌ・クール・ド・ジェブランがLe Monde primitif(『原始世界』)第8巻で、タロットは古代エジプトの書物だと主張。同じ巻に収められたメレ伯爵の論文が、切り札をヘブライ文字と結びつける。 |
| 1780年代後半 | エッテイラ(Etteilla、本名ジャン=バティスト・アリエット)が、カード占いのために作られた最初のデッキを出版。 |
| 1822年 | シャンポリオンがヒエログリフを解読。エジプトの文書に、タロット説を裏づけるものは何もない。 |
| 1850年代 | エリファス・レヴィ(Éliphas Lévi)が22枚の切り札を22のヘブライ文字とカバラに結びつける。 |
| 1888年 | ロンドンでヘルメス主義の結社、黄金の夜明け団(Golden Dawn)が創設される。 |
| 1909年 | Rider & Son社が、A・E・ウェイトの指導のもとで構想され、パメラ・コールマン・スミスが描いたデッキを出版。 |
| 1910年 | スミスのカードの図版を収めたウェイトのThe Pictorial Key to the Tarot(『タロット図解』)。 |
| 1938年~1943年 | フリーダ・ハリス夫人が、アレイスター・クロウリーの構想にもとづいてトート・タロット(Thoth)を描く。 |
| 1969年 | 作り手が二人とも亡くなったあと、トート・タロットがデッキとして出版される。 |
| 1971年 | U.S. Games Systems社がライダー・ウェイト版の出版を始め、アメリカ中の書店に並ぶようになる。 |
タロット以前:トランプがヨーロッパに伝わる
タロットは普通のトランプより新しいので、物語はトランプから始まります。カードがヨーロッパに伝わったのは1370年代後半のようです。1377年にはフィレンツェ市がnaibbe(ナイッベ)という新しいゲームについての決まりを定め、同じ年にドミニコ会の修道士、ラインフェルデンのヨハネスがラテン語の論文でカードゲームについて書いています。どちらもカードを目新しいものとして扱っています。
もっとも有力な出どころは、エジプトとシリアを支配していたマムルーク朝です。15世紀のほぼ完全なマムルークのカード一式が、イスタンブールのトプカプ宮殿博物館に現存しています。スートは4つ、杯、硬貨、剣、ポロのスティックです。各スートに数札が10枚と宮廷札が3枚あり、宮廷札には人物ではなく名前と模様が描かれています。
ヨーロッパの人々は構造をそのまま残し、細部を変えました。イタリアではポロはなじみがなかったので、ポロのスティックは棍棒や杖になりました。宮廷札は人の姿になり、王とその下の男性の臣下2人になりました。カードを意味するスペイン語のnaipes(ナイペス)やイタリア語のnaibi(ナイビ)は、おそらくアラビア語のnā’ib(ナーイブ、代理人)から来ています。これはマムルークの宮廷札のひとつの称号でした。
つまり1400年ごろには、イタリアの人々はすでに杯、硬貨、剣、棍棒の4つのスートを持つカードを使っていました。これが今もタロットに見られる4つのスート、カップ、ペンタクル、ソード、ワンドです。タロットは、このカードの上に築かれたのです。
カードゲームとしてのタロット
トリオンフィ:もうひとつのスート
15世紀前半のある時期、北イタリアの誰かが、普通のカードに5つ目のスートとして絵札を加えました。この絵札はほかのスートのどのカードにも勝つので、1枚出せばトリック(1巡の勝負)を取ることができました。この絵札はtrionfi(トリオンフィ)、「勝利」と呼ばれました。英語の「trump(切り札)」も同じ語源です。日本語の「トランプ」も、この英語に由来するといわれています。
現存する最古の記録は1440年代のもので、フェラーラやフィレンツェなど北イタリアの都市に残っています。カードを買った、描かせた、贈り物にしたという記録です。誰が最初に思いついたのか、正確にどこでなのかは誰にもわかりませんし、正確な年もわかっていません。
絵柄には、当時おなじみのイメージが使われました。美徳、惑星、統治者、死、愛、そして説教師や画家がしょっちゅう用いた運命の輪。プレーヤーにとって、それは強さの順番でした。王が女王に勝つのと同じように、太陽の札は月の札に勝ったのです。
初期のイタリアのデッキでは、切り札に番号が印刷されていません。プレーヤーは順番を暗記していて、その順番は都市ごとに違っていました。ダメットは現存する順番を地域ごとに3つの系統に分類しています。切り札の数は21枚に落ち着いたようで、それに別扱いの1枚、愚者を加えたものが、今大アルカナと呼ばれる22枚です。フィレンツェは独自の道を進み、美徳、四元素、黄道十二星座の切り札を加えた97枚の大型版、minchiate(ミンキアーテ)を生み出しました。
当時の切り札は名前も違いました。魔術師はBagatto(バガット)、大道芸人やいかさま師でした。女教皇と教皇は、女教皇(Popess)と教皇(Pope)。恋人は単に「愛」でした。のちに吊るされた男と呼ばれる人物は、初期のイタリアの資料ではよく「裏切り者」として記されています。
ヴィスコンティ・スフォルツァ版
現存する最古のタロットカードは、15世紀半ばにミラノの支配者一族のために作られた、手描きの豪華なデッキです。フィリッポ・マリア・ヴィスコンティは1447年までミラノ公でした。フランチェスコ・スフォルツァはその娘ビアンカ・マリアと結婚し、1450年にミラノ公になりました。カードには一族の紋章、金箔、細やかな衣装の描写が施されています。
こうしたデッキ(Visconti-Sforza)はいくつか現存していますが、完全なものはひとつもありません。もっとも有名な一組はニューヨークのモルガン・ライブラリーとベルガモのコレクションに分かれて所蔵されていて、悪魔と塔を含む4枚が欠けています。
ソラ・ブスカ版
15世紀後半のソラ・ブスカ版(Sola Busca)は、ふつう現存する最古の完全なタロットとして紹介されるデッキで、変わった特徴を持っています。切り札には定番の題材ではなく、古代の歴史や伝説の人物が描かれています。後の時代の読み手にとってもっと重要なのは、数札のすべてに場面が描かれていることです。初期のデッキのほとんどは、杯、硬貨、剣、棍棒を数のとおりに並べているだけでした。
この特徴が、4世紀後に意味を持ちました。パメラ・コールマン・スミスは、1900年代初めから大英博物館が写真で所蔵していたソラ・ブスカ版の図柄を知っていたようです。3本の剣に貫かれた心臓を描いた彼女のソードの3は、ソラ・ブスカ版のカードとよく似ています。
トリオンフィからタロッキへ
「トリオンフィ」が切り札を使うゲーム全般を指す言葉になったため、このゲームには新しい名前が現れました。tarocchi(タロッキ)という言葉が最初に見られるのは16世紀初めです。語源はわかっていません。英語に伝わったのは、フランス語の形tarot(タロー)のほうです。
マルセイユ版タロットと、今も遊ばれるゲーム
ゲームは北と西へ広がりました。1499年からのフランスによるミラノ占領が、おそらくそれを後押ししました。フランスとスイスに根づき、のちにオーストリア、ドイツ、そして中央ヨーロッパの広い地域に広まりました。
17~18世紀には、フランスとスイスでひとつのデザインが標準になっていました。今マルセイユ版タロット(Tarot de Marseille)と呼ばれる図柄です。1650年ごろのパリのジャン・ノブレ、1701年ごろのリヨンのジャン・ドダル、1760年のマルセイユのニコラ・コンヴェルのデッキが、現存する有名な例です。これらのデッキでは切り札にローマ数字の番号とフランス語の名前がついています。塔はLa Maison Dieu(神の家)。13番の死神には、たいてい名前がまったくありません。
マルセイユ版の順番では、「正義」がVIII、「力」がXIです。
タロットのカードゲームは途絶えませんでした。フランスでは今もタロー(tarot)が広く遊ばれていて、得点を左右する3枚の「ウードレ(oudlers)」(1、21、そして「エクスキューズ」と呼ばれる愚者)があります。オーストリアではターロック(Tarock)が遊ばれ、イタリアの一部にも形を変えて残っています。こうしたゲーム用のカードのほとんどは、フランス式のスートと日常の場面を描いた切り札を使っていて、マルセイユ版の絵柄ではありません。
つまり、およそ350年のあいだ、タロットはゲームだったのです。その時代に、カードが占いに日常的に使われていたことを示すものは何もありません。歴史家は、1750年ごろのボローニャのメモに一部のカードの意味が書かれているなど、それ以前のわずかな断片も挙げていますが、タロット占いがはっきり記録に現れるのは1780年代になってからです。
オカルト・リバイバル:エジプト、エッテイラ、レヴィ
クール・ド・ジェブランとエジプト起源説
1781年、フランスのプロテスタントの牧師で学者のアントワーヌ・クール・ド・ジェブランが、大著Le Monde primitif(『原始世界』)の第8巻を出版しました。その中で彼は、タロットは古代エジプトの神官の叡智である「トートの書」が残ったもので、何世紀ものあいだ気づかれずに受け継がれるよう、ゲームの中に隠されたのだと主張しました。そして「タロット」という言葉を、「王の道」を意味するとされるエジプト語から導き出しました。
同じ巻には、メレ伯爵の論文も載っていました。22枚の切り札をヘブライ語のアルファベット22文字と結びつけ、カードで占う方法の概略を示したものです。
どれにも証拠はありませんでした。1781年には、ヒエログリフを読める人は誰もいなかったのです。1822年にジャン=フランソワ・シャンポリオンが解読すると、エジプトの文書が読めるようになりましたが、そこにはタロットやそれに似たものは何も出てきません。それでもこの考えはすでに広まっていて、完全に消えることはありませんでした。
エッテイラ:最初の占い用デッキ
ジャン=バティスト・アリエットは、エッテイラ(Etteilla、名字を逆さにしたもの)の名で著作を出した、カード占いで生計を立てるパリの人物でした。すでに普通のピケ(piquet)用カードを使った占い方を出版していましたが、クール・ド・ジェブランのあとタロットに目を向け、1780年代からタロットの本を出版し、1780年代後半には占いのために特別に作られた最初のデッキを発行しました。
エッテイラはカードを並べ替え、正位置と逆位置の意味をカードに印刷しました。のちの本に受け継がれた占いの意味の多くや、上下逆のカードを違う意味で読む習慣は、このフランスのカード占いの伝統にさかのぼります。
エリファス・レヴィとカバラ
次の大きな一歩は1850年代に訪れました。フランスの作家アルフォンス=ルイ・コンスタンのペンネーム、エリファス・レヴィ(Éliphas Lévi)は、Dogme et rituel de la haute magie(『高等魔術の教理と祭儀』)で魔術の体系を示しました。彼はヘブライ文字とのつながりを完全な体系に発展させました。22枚の切り札が、22のヘブライ文字と、カバラの生命の樹の小径に対応するというものです。
レヴィは愚者を順番の終わり近く、20番と21番の切り札のあいだに置きました。のちのイギリスのオカルティストたちは、それを最初に移しました。愚者がどこに属するかについては、今も読み手のあいだで議論が続いています。
黄金の夜明け団とライダー・ウェイト・スミス版
照応の完全な体系
ヘルメス主義の結社、黄金の夜明け団(Golden Dawn)は、1888年にロンドンで創設されました。小さな魔術結社で、タロットはその教えの中心にありました。団員は密に絡み合った対応関係を学びました。大アルカナの各カードはヘブライ文字と惑星・星座・元素のいずれかに、各スートは元素に、2から10までの各数札は黄道の10度ずつの区分に対応しています。
黄金の夜明け団は、今もほとんどのデッキに残る変更も加えました。大アルカナを黄道の順番(獅子座が天秤座の前)に合わせるため、「力」(獅子座)と「正義」(天秤座)を入れ替えたのです。「力」が8、「正義」が11になりました。くわしく知りたいなら、星座とタロットカードのガイドにすべての対応をまとめています。
ウェイトとスミス
アーサー・エドワード・ウェイトとパメラ・コールマン・スミスは、どちらも団員でした。ウェイトは神秘主義と魔術について多くの著作を残した作家です。スミスは画家、挿絵画家、舞台美術家で、1878年にアメリカ人の両親のもとロンドンで生まれました。
1909年、ロンドンの出版社William Rider & Sonが、ウェイトの指導のもとで構想され、スミスが描いた新しい78枚のデッキを発行しました。「力」を8とする黄金の夜明け団の番号はそのまま残されました。続いてウェイトによるカードの解説書が出て、図版入りの版The Pictorial Key to the Tarot(『タロット図解』)は1910年の刊行です。
大きな変化は小アルカナにありました。杯8つや硬貨5つを並べるのではなく、スミスは40枚の数札すべてに場面を描いたのです。この発想には、ソラ・ブスカ版以外にほとんど前例がありませんでした。初心者がカップの5やソードの3を見て、本がなくても意味をなんとなくつかめるのはそのためです。
それぞれのデザインのどこまでがウェイトで、どこまでがスミスによるものかは、完全にはわかっていません。ウェイトは大アルカナを細かく指定し、小アルカナではスミスにより多くの自由を与えたと広く考えられています。スミスは多くのカードに小さなモノグラムでサインを入れました。何十年ものあいだ、このデッキは「ライダー・ウェイト版」と呼ばれ、彼女の名前は外されていました。今多くの読み手がライダー・ウェイト・スミス版やスミス・ウェイト版と呼ぶのはそのためです。スミスは1951年に亡くなりましたが、生前この仕事でほとんど評価されることはありませんでした。
トート・タロットと20世紀
この世紀のもうひとつの偉大なオカルトのデッキは、やはり黄金の夜明け団の元団員だったアレイスター・クロウリーから生まれました。1938年から1943年にかけて、クロウリーが構想し、フリーダ・ハリス夫人が描いたものです。その体系を解説するクロウリーのThe Book of Thoth(『トートの書』)は1944年に出版されました。
デッキそのものは、クロウリーとハリスが二人とも亡くなったあとの1969年まで出版されませんでした。いくつかのカードは名前が変えられています。「力」は「欲望(Lust)」、節制は「技(Art)」、審判は「永劫(Aeon)」です。スートはペンタクルではなくディスク(Disks)を使い、コートカードはナイト、クイーン、プリンス、プリンセスです。
それでも英語圏では、ライダー・ウェイト・スミス版が勝ちました。1971年からU.S. Games Systems社がアメリカで広く出版し、英語のほとんどの本がこのデッキを前提に書かれるようになりました。現代のデッキのほとんどは、見た目がまったく違うものも含めて、今もその構造に従っています。数札に描かれた場面、8番の「力」、そしてウェイトがつけたカードの名前です。
タロットの歴史にまつわる俗説
「タロットは古代エジプトから来た」
いいえ。この説は1781年のクール・ド・ジェブランに始まり、彼には何の証拠もありませんでした。最古のタロットカードは15世紀のイタリアのもので、当時のキリスト教や古典の題材が描かれています。読めるようになったエジプトの文書は、タロットについて何も語っていません。今はエジプト風の図像を使うデッキがたくさんありますが、それは芸術的な選択であって、起源の記録ではありません。
「タロットはロマの人々がヨーロッパに持ち込んだ」
これにも証拠はありません。ロマの集団が西ヨーロッパの記録に現れるのは15世紀初めからですが、トランプは1370年代にはすでにそこにあり、タロットはイタリアの宮廷で発展しました。このつながりは19世紀のフランスの著述家たちが言い出したもので、オカルティストのパピュスがLe Tarot des Bohémiens(『ボヘミアンのタロット』、1889年)で広めました。カード占いはのちに世間のイメージの中でロマの人々と結びつけられるようになりましたが、だからといって彼らがタロットの源というわけではありません。
「タロットには数千年の歴史がある」
証拠が示すのは、タロットは15世紀前半、占いのタロットは18世紀後半に生まれたということです。つまり、ゲームとしてはおよそ580年、リーディングの伝統としてはおよそ240年の歴史です。
「教会がタロットを禁止した」
記録に残っているのは、もっとありふれたことです。14世紀以降、ヨーロッパ各地の都市当局がカードゲームや賭け事を規制したり禁止したりしました。1377年のフィレンツェの決まりもそのひとつです。説教師たちはカードやサイコロを攻撃し、シエナのベルナルディーノは、カードやその他の「虚栄」を焼く火を生んだ説教で有名です。15世紀後半のある説教は、サイコロと並べて切り札を名指しで非難しています。
記録にないのは、タロットそのものに対する教会全体の禁止です。こうした決まりの多くは賭け事全般を対象にしたもので、タロットは宮廷で公然と遊ばれていました。現在カトリック教会はあらゆる種類の占いを否定していますが、それはゲームの歴史とは別の話です。
スートとトランプのつながり
タロットと普通のトランプは、いとこのような関係です。どちらも1300年代後半のイタリアの4スートのカードの子孫です。イタリアとスペインのカードは古いスートの記号を残し、フランスでは15世紀後半にハート、ダイヤ、クラブ、スペードが生まれました。
| タロットのスート(ライダー・ウェイト・スミス版) | 古いイタリア・スペインのスート | 一般的に対応するトランプのスート |
|---|---|---|
| ワンド | 棍棒(bastoni、bastos) | クラブ |
| カップ | 杯(coppe、copas) | ハート |
| ソード | 剣(spade、espadas) | スペード |
| ペンタクル | 硬貨(denari、oros) | ダイヤ |
右の列の対応は、トランプで占う人たちが使っている慣習で、歴史的な系譜ではありません。ただ、英語の名前には手がかりが残っています。「スペード(spades)」はほぼ確実にイタリア語とスペイン語の「剣」から来ていて、「クラブ(clubs)」は棍棒を訳したものです。
「ペンタクル」はオカルト・リバイバルの時代の名前です。古いタロットデッキには硬貨が描かれていて、トート版ではこのスートをディスクと呼びます。
コートカードも違います。タロットには各スートに4枚、キング、クイーン、ナイト、ペイジがあります。フランス式のトランプはナイトを外し、キング、クイーン、ジャックを残しました。伝統的なイタリアとスペインのカードは逆で、キング、ナイト、ジャックを残し、クイーンがありません。この16枚の読み方はタロットのコートカードのガイドで紹介しています。
ジョーカーはどうでしょうか。ジョーカーは愚者の直系の子孫ではありません。ジョーカーは19世紀のアメリカのトランプに、ユーカー(euchre)というゲームの追加の切り札として登場しました。見た目は似ていますが、一方から他方へつながる記録はありません。
リーディングに歴史が役立つ理由
今ほとんどの人が使っている意味は、古代エジプトからも、ゲームを生み出したルネサンスのプレーヤーたちからも来ていません。主に1700年代後半のフランスのカード占い師たち、黄金の夜明け団の体系、ウェイトの本、そして何よりスミスの絵から来ています。このサイトのカードのページでソードの3が失恋を意味すると書くとき、その読みは、このカードを「悲しみの王(Lord of Sorrow)」と呼んだ黄金の夜明け団の教えと、貫かれた心臓を描いたスミスの絵に支えられています。
それでかまわないのです。伝統は、古くなくても豊かになれます。スミスの場面は、それぞれのカードに入りこめる小さな物語を与えてくれます。それが、タロットがふり返りの道具として役立つ大きな理由です。歴史からは、実際に役立つことがいくつか見えてきます。
- 番号はデッキによって違う。あなたのデッキで「正義」が8なら、それはマルセイユ版の系統です。どちらの順番も間違いではありません。愚者の旅のガイドで、どちらの順番でも物語がどう読めるかを紹介しています。
- 逆位置はひとつの慣習。上下逆の意味は、カード占いの伝統から来ています。使う読み手も使わない読み手もたくさんいて、どちらも正当な選択です。
- 小アルカナは絵を通して読む。マルセイユ式のデッキでは数札に記号しか描かれていないので、読み手は数とスートを頼りにします。小アルカナのガイドで、両方の入り方を紹介しています。
- 大アルカナにはオカルトの層がある。文字、惑星、星座との対応は18~19世紀に加えられたものです。楽しめるなら役に立ちますし、そうでなければ使わなくてもかまいません。
歴史を知っていれば、「このカードは伝統的に〜を意味する」と言うとき、自分がどの伝統のことを言っているのかがわかります。大アルカナのガイドと78枚すべての意味一覧は、どちらもここで紹介したライダー・ウェイト・スミス版の伝統に沿っています。
スミスのデッキから1枚引いてみよう
下のカードは、1909年にスミスが描いたライダー・ウェイト・スミス版の図柄です。1枚引いて、20世紀が教えてくれたやり方で読んでみましょう。まず絵を見て、それから意味を確かめます。
デッキを読み込んでいます。何も表示されない場合は、JavaScriptを有効にしてください。
引いたのが小アルカナなら、言葉を読む前に、場面がどれだけ多くを語ってくれるかに気づいてください。それがスミスの貢献です。もっとしっかり占うなら3枚引きタロットスプレッドを試すか、タロットカードの読み方で基本を学びましょう。
よくある質問
タロットはいつからある?
タロットの歴史はおよそ580年です。カードについて現存する最古の記録は1440年代の北イタリアのもので、現存する最古のデッキは15世紀半ばのものです。タロットを占いに使うのはずっと新しく、はっきり記録に現れるのは1780年代からです。
タロットは占いのために作られた?
いいえ。タロットはトリックテイキングのカードゲーム用のデッキとして生まれ、絵札は切り札の役割をしていました。およそ3世紀半のあいだ、それが主な使い道でした。タロット占いがはっきり記録に現れるのは、18世紀後半のフランスになってからです。
最初のタロットデッキを作ったのは誰?
誰にもわかりません。切り札のスートを加えるという発想は15世紀前半の北イタリアに現れましたが、記録に発明者の名前はありません。現存する最古のデッキは、ミラノの支配者のために作られた手描きのヴィスコンティ・スフォルツァ版です。
なぜ「ライダー・ウェイト版」と呼ばれる?
このデッキは1909年にロンドンのWilliam Rider & Son社から出版され、アーサー・エドワード・ウェイトの指導のもとで構想されたため、ライダー・ウェイト版として知られるようになりました。78枚すべてを描いたのは画家のパメラ・コールマン・スミスで、そのため今では多くの人がライダー・ウェイト・スミス版と呼んでいます。
タロットはエジプトから来た?
いいえ。この主張は1781年にアントワーヌ・クール・ド・ジェブランが証拠なしに唱えたものです。最古のタロットカードはイタリアのもので、15世紀のヨーロッパの題材が描かれています。古代エジプトの文書には、タロットに似たものについての記述は何もありません。
いちばん古いタロットデッキは?
現存する最古のタロットカードは、15世紀半ばのミラノで作られた手描きのヴィスコンティ・スフォルツァ版で、どれも完全ではありません。15世紀後半のソラ・ブスカ版が、現存する最古の完全なデッキです。
なぜ「力」と「正義」の番号が入れ替わっている?
マルセイユ版タロットのような古いデッキでは、「正義」が8、「力」が11です。黄金の夜明け団が、大アルカナを黄道の順番(獅子座の「力」が天秤座の「正義」の前)に合わせるために入れ替えました。ウェイトはライダー・ウェイト・スミス版でその順番を残し、現代のデッキのほとんどがそれに従っています。
タロットは今もカードゲームとして遊ばれている?
はい。フランスではタロー(tarot)が人気のカードゲームで、オーストリア、イタリアの一部、ヨーロッパのほかの地域でも、関連するゲームが遊ばれています。ゲーム用のカードのほとんどは、読み手がよく知る絵柄ではなく、フランス式のスートと日常の場面を描いた切り札を使っています。




